I say little prayer
「俺達、結婚する事になったんだ」
その言葉を放った瞬間、周囲の空気がぎしっと軋んだ気がしたのは折原浩平の錯覚ではないだろう。事実、目の前の様子を見ていると、そこだけ明らかに時が止まっていた。
行き付けの居酒屋「夢の浮き橋」。テナントビルの四階にあり、居酒屋でありながらもライトアップされた夜の街の美しさを窓から一望出来るこの店は、彼のお気に入りだった。こうしてビルの谷間を流れるヘッドライトの河を見ていると、体内のアルコールも相俟ってまさしく夢の中にいるような感覚を覚える。それが好きだった。
今、彼は高校時代の仲間達と久々に酒を飲みに来ているのだが。彼の眼前の友人達はそのまま静止状態にあった。沈黙が暫く彼らの間に横たわり――
「あ、茜ちゃん。それ美味しそうだね。ちょっとくれないかな?」
「はい、どうぞ」
「みゅ〜!」
「あいたたっ! こら! あんたももう高校生になるんだから、いい加減そんな真似は止めなさいっ!」
『お寿司食べるの♪』
「お前らぁっ!」
ばんっ!
浩平の怒鳴り声と共に放たれた両手がテーブルを叩き、乗っていた焼酎のコップを倒した。幸いにも内容物は少なかった故にテーブルに広がったアルコールの水溜りは備え付けのお絞りで拭い切れるものだったのだが。
しかし浩平のその態度にも、彼の友人達は際立った反応を見せなかった。
「折原ぁ、うるさいわよ。周りの人の迷惑でしょ」
「やかましいっ! 人の話を聞かんかお前ら!」
「話って何、浩平君」
「あんたもっ! 今話しただろ!」
「……聞いていません。繭ちゃんと澪ちゃんは?」
「みゅ〜? 聞いてない」
『(うんうん)』
「……このボケ共がぁ」
いい加減情けなくなり、浩平はこめかみを押さえてテーブルの上に肘を付いた。その様子を、彼の隣の長森瑞佳が心配そうに見やっている。そして彼女は彼とその仲間達を交互におろおろと窺うのだ。その姿は気弱そうでもあるし、心配性にも見える。しかし決定的に、その顔は恥じらいに赤く染まっていた。
「……はあ。解った、もう一度言うぞ。俺達、結婚する事になった」
結婚。そのキーワードを唱えた途端、再び世界の運行が停止したかのようにこの場が凍り付いた。 浩平の斜め向かいの少女、椎名繭が握っていたスプーンがその細い指から零れ落ち、その真下のミルクたっぷりクリーミーグラタンの皿に当たってカランと音を立てる。
その右隣では、川名みさきが持ち前の常軌を逸した食欲で処理したアサリバターの五枚目の皿を重ねる所でぴたっと静止していた。
更に繭の左隣では、ビールの大ジョッキを豪快に仰いでいる女性の姿。七瀬留美である。彼女もやはり、黄金色の液体を口内に注いでいる途中で止まり、その手からジョッキがするりと抜けて木目調の食卓にごとりと落ちる。炭酸の麦酒がテーブルに撒かれるが、誰も拭う者はいない。
向かいの席には、赤いリボンが可愛らしい上月澪が、失語症の己のハンデを補う為に常備している意志伝達のスケッチブックに鉛筆を押し付けて固まっている。ぺき、とカーボンの芯が折れる音がかすかに響いた。
澪の横では大きな三つ編みの女性が無表情に箸を動かしていた。この中では唯一まともに手を動かしている里村茜だが、その内容は尋常ではない。ししゃものから揚げに焼酎を漬けているし、かと思えば刺身盛り合わせの彩りに付けられた明らかに食用ではない菊花のプラスチック細工を摘まみ、がりがりと咀嚼していた。動揺している事は疑い無い。
一瞥しただけで、彼女達の様子が常ならざるものであると言う事は万人に解る。
問題は、どうしてそのように異界紛いの空間になっているのか、だが。
「……結婚?」
始めに口を開いたのは留美だった。まるでその単語を初めて耳にするような面持ちで浩平に言葉を返す。しかしそのような反応でも、浩平には満足だった。少なくとも、先ほどのように何事も無かったように流されるよりは数段マシだ。
「ああ、結婚」
「誰が? 誰と?」
「俺と、瑞佳」
そう答えた彼の頬は、薄くだが確かに紅潮していた。言葉もどもりがちで、彼の隠れた純情さが窺える。しかしその横の瑞佳は見て解るほど首筋まで朱に染まっていた。俯きがちで、皆と視線を交えるのを避けている所が何とも可愛らしい。
「……で、冗談はさて置いて。誰と誰が結婚するって?」
「馬鹿かお前は!? 本気と書いてマジだっ!」
「せんぱ〜い、エイプリルフールって今日だっけ?」
「えっと……確か今日は敗戦記念日だったような気がするよ」
「本当だっ! 事実だっ! 信じろよっ! あと先輩、敗戦じゃなくて終戦だろが!」
でも負けたのには変わりないじゃない、と留美が改めてビールを呷った。さすが性格が豪胆にして磊落、極めて男らしい酒の飲み方だった。これで彼女の目標が自他ともに認めるような乙女になると言うのだから、笑い話にしかならないと浩平は思う。
しかしながら、取り付く島も無い。結婚すると言う話は全く信じてもらえていないようだ。
「おい瑞佳、お前からも言ってやってくれ」
「え……恥ずかしいよ」
「俺だって恥ずかしい」
それでも俺は三度も言ったんだからな、と浩平は無理矢理瑞佳に納得させた。夫婦になるのだから苦労も分かち合わねばならない、そのような意志を浩平の言葉から読み取れば、瑞佳としては彼の妻になる身、期待に応えねばなるまい。
「えっと……本当なんだよ、七瀬さん」
「……マジ?」
「うん、まじ」
「……瑞佳が言うのなら、こりゃ本当なのね」
「だぁかぁらぁ、さっきから言ってんだろが!」
再び浩平がテーブルを両手で叩くと、予想よりも事の他大きく響いた音が周囲の客を振り向かせた。瑞佳が愛想笑いを振り撒くと、それらの客達もそれぞれの酒宴に意識を戻す。挙式こそしていないものの、既に瑞佳は浩平の女房役を立派に務めていた。もっとも、それは幼い頃から培われて来た彼女の世話好きな一面によるものなのだが。
「……いつから、浩平と長森さんは」
ぼそり、と茜が呟く。彼女としては、自分も浩平の事を憎からず思っていたので、今回の件は素直に喜べないものがあった。彼女だけではない、留美も、みさきも、繭も、澪も。口には出さないけれど確かに浩平を想う心があるのは普段の態度に滲み出ていた。それを瑞佳も解っているので、浩平と結婚すると言うのも彼女らを出し抜く結果に終わってしまったのだと思えば心苦しい。しかしこればかりは、譲る訳にはいかなかった。
「……高校の時からな。みんなには黙っていて悪かったけど」
「う〜、全然知らなかったよ」
「本当ね。随分とエゲツない事してくれんじゃない」
「みゅ〜……」
『(はぅ〜)』
「全くです」
そうやって彼女達に半目で睨まれると、まるでこちらが悪い事をしているように感じられて、非常に居心地が宜しくなかった。別段何もやましい事はしていないのに、たじろいでしまう。
浩平としては、瑞佳を愛しているし彼女を生涯の伴侶に選択した自分の決断は正しいと確信している。瑞佳とて、彼のその気持ちはとても嬉しい。ずっと好きだったのだから。
しかしそんな二人の惚気も気に食わない酔っ払い共も、ここにはいるのだ。
「みゅ〜……うわああああんっ!」
「何で泣くっ! って、お前飲んでるな!? 誰だ、椎名に酒飲ませたのは!?」
「え〜い、ちくしょう! こうなりゃヤケ酒よぅ〜っ!」
「お前か七瀬っ!」
見ると、留美はいつの間にやら向かいの澪の隣まで移動して彼女にコップ一杯の焼酎を飲ませていた。一応澪も小さいなりで二十歳を超えているのだが、酒への抵抗力は皆無、今までも椎名と一緒にウーロン茶を飲んでいたのだが。しかし留美の心無い一撃でみるみる顔に赤みが差し、アルコールが体内に注ぎ込まれた事を如実に物語っている。
繭と澪をその手に掛けた留美は、自身はテーブルの上に置いてあった誰が頼んだかも解らないブルーハワイを備え付けのストローも無視して豪快に飲んでいた。
「う〜、酷いよ。浩平君、私の気持ち知ってるくせに〜」
「おわっ! 先輩も飲んでんのか!? セーブしないとプール一杯分飲むんだから控えてくれってあれほど――」
「私はねぇ! 浩平君!」
「は、はい!」
「君の事がぁ、大好きだったのにぃ〜」
涙ながらにアルコール度数の高い老酒を呷るみさき。確かにこれほど想われているのなら幸せなのだろうと浩平も思うのだが、その感慨に耽るには今の状況はいささか特異過ぎた。
こりゃあかんと隣の将来の妻に救援を求めようとするのだが、
「……おおいっ! 茜、何やってる!?」
「長森さん、これを飲めばハッピーハッピー」
「ハッピーハッピーじゃねえよっ!」
「がぼがぼがぼ」
そこに繰り広げられているのは、茜が瑞佳を羽交い締めにして比較的口当たりの良いライム酎ハイを飲ませている拷問の図。瑞佳はこと酒に関しては全くの下戸で、お猪口一杯飲んでも呂律が回らなくなってしまう。それを、五百ミリリットルのジョッキを一気飲み。完全に瑞佳を潰す気だった。
ごくごくごくく、ごくごくく。
ばたっ!
「……任務、完了」
「おいこらっ!」
薄い緑色の液体が全て瑞佳の口内に吸い込まれたのと同時に、瑞佳が堕ちた。これで暫くは起きて来る事はないだろう。真っ赤な茹蛸みたいなその顔を見ていると、まるでベッドでの秘め事の時の表情を思い出させる。そう言えば瑞佳は電気を点けてするのを嫌がるから、恥じらいに頬を染めるなんて滅多に見れないもんなぁ……と、そこまで考えて、浩平は不埒な想像を頭の中から追い出した。
かきかきかきかきかき。
「ん? 澪、何を書いて――」
『ひどいの! おとめのじゅんじょーをふみにじったの!』
「あう……」
スケッチブック一面に書かれた抗議の文章に、浩平は少なからず罪悪感に苛まれた。乙女と書いてある所がどうせ留美辺りの入れ知恵だろうが、そのミミズののたくりのような字体は、的確に浩平の心を抉る。
「だって、仕方がないじゃないか! みんなを愛する訳にはいかないし、ずっとみんな一緒にいる訳にもいかないし、俺だって瑞佳と結婚したいから――」
情けない男の言い訳だと、自分でも思う。しかし、この場は他に適切な表現が浮かんで来ないのも事実なのだ。それに彼自身、彼女達の中から長森瑞佳と言う幼馴染を妻とする事に誇りを持っていた。それが遠き日の盟約を無しにしても、だ。
しかしその男の言い分を、澪は聞いていなかった。彼にスケッチブックを見せた途端、体内のアルコールさんに連れられて夢の世界へと旅立ってしまったのだから。
何なんだ、と溜息混じりに騒動の張本人である七瀬留美に向き直ると――
「やってらんないわよね〜! 折角ここに来て初めて人を好きなれたのに、もうソールドアウトって奴?」
「俺は商品かっ!」
「ああもう! おねーさーん、追加注文! 大生三つに月桂冠! それとロゼに青島ビールにバーボン、ロックで! あとツマミにゲソの唐揚げ〜!」
「まだ飲むのかお前は!」
美人の外見とは裏腹に、留美は底無しだった。初めて彼女に会って猫を被っていた頃からは想像も付かないほどの痴態だ。高校の時、男子を対象に行われたクラス女子人気投票で彼女に憧れて投票した男子達が今の彼女のこの体たらくを目の当たりにしたら、果たしてどんな顔をするのだろうか。
「私も追加を。この味覚破壊活殺極甘あんみつアサルトバスターを五個お願いします」
「おい、そんなに食えるのか?」
「大丈夫です。それに、これは浩平の奢りですから」
「いつ誰が言った、そんな事!」
「今、私が言いました」
無茶苦茶だ、と浩平は頭を抱えた。恐らく自分達に隠れて瑞佳と交際し、結婚まで至った浩平に対する意趣返しなのだろうが、それでもその仕打ちは過ぎるものがある。
「浩平君の奢りなんだね、よ〜し。おね〜さ〜ん、焼き鳥の正肉とネギマとレバーとつくねと皮、十本ずつ! それとまぐろのカブト煮とほっけの開きとアンチョビピザ! ついでに肉じゃがと海鮮サラダにスラシュコ、いわしのユッケに長ネギのマリネに牛タンのジンジャーソースにチーズフォンデュに、後はえ〜と、え〜と……何でも良いから高価いのから順に持って来てよ」
「ちょっと待てコラ! 奢るなんて一言もいってないぞ! 大体、そんなに食えんのかよ!?」
「まだだよっ! 浩平君への気持ちを食欲で補填するには、全然足りないんだよっ!」
聞きようによっては熱烈な愛の告白なのだろうが、その羅列された料理の名前が雰囲気をぶち壊していた。何と言うか、高校の時よりより一層食欲が顕著になったような気がする。あの時は、食べてもせいぜいカツカレー十皿くらいだったはずだ。もっとも、その時点で高校生の常軌を、と言うより人間としての限界を逸脱しているが。それでも、それだけの量を摂取しても抜群のプロポーションを維持していると言うのだから、彼女の存在はあらゆる意味で人類の財産なのだろう。
「みゅ〜! みゅ〜!」
「待て待て待て! お前はもう飲むな!」
「繭ちゃん、私と澪ちゃんと一緒に長森さんを裸にして気持ち良い事しましょう」
「お前は黙ってろ!」
それはまさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。すやすやと眠る一人の女性に、大量のアルコールと食物を吸収している二人の女性、更に三人の、眠り姫を狙う狩人。そして、それらの姦しい彼女達に翻弄される哀れな青年。
これだけ騒ぎ立てれば周囲の客も激怒しようものだが、浩平は気付いていなかった。この店には既に彼ら以外の客はおらず、店の入り口には「閉店」の札が下げられている事に。
「はぁぁぁぁぁ」
溜息を一つ付く。
結局、さんざっぱら騒いだ挙句に集団で飲み比べをして、彼女達は酔い潰れた。今、浩平の周りには死屍累々の光景が繰り広げられている。留美は壮大ないびきを掻いているし、瑞佳は先ほどの一件でダウン、繭もみさきと抱き合ってキスをしながら寝息を立てているし、澪も茜の胸の谷間に顔を埋めて心地良さそうに眠っていた。
浩平は一人、激しい宴の後のテーブルの上の粗相を片付けている。はっきり言って惨めな事この上なかった。
「や、浩平」
「あ……晴香さん」
浩平に声を掛けたのは、この居酒屋の店主にして浩平の叔母だった。彼が居候している家の家主の叔母、由起子の姉に当たり、彼の母親の妹……つまり次女と言う訳だ。
浩平がこの居酒屋を行き付けにしている理由は、ただ夜景が美しいからではない。親戚の間柄、縁故割引と言う特典が付帯しているからであった。
「何かあんた達、来る度にこう言う結末に終わってるような気がするね」
「……面目ないです」
「しかし、浩平も結婚ねぇ。姉さんに連れられて初めてウチに来た日が懐かしいわ。あの頃の浩平は可愛かったなぁ」
「止めて下さいよ、今更」
くすくすと笑う叔母を見る。確認はしていないが、自分達が大宴会をしていた時に店を貸し切り状態にしてくれたのは彼女だろう。愛すべき甥が婚約者を連れて来た事への祝福か。そう思うと、感謝の気持ちで一杯になった。
「……ね、浩平」
「……はい?」
不意に、真剣な面持ちになる晴香。
「やっぱりさ、隠してたのはいけないと思うわ。人間ってのは気持ちが通じ合えるとか言うけど、結局は言葉が凄く大事だからね。言わないと伝わらない事もあるし、言わなきゃもし相手が誤解していてもそのままになっちゃうからね」
「…………」
「瑞佳ちゃんにお熱なのも良いけど、あんたを今まで想ってくれた娘達にも、ちゃんと自分の気持ちを伝えないと駄目よ? 言葉で、ね」
そう晴香が告げた時、店の有線放送がある一つのメロディを流した。
アップテンポな曲の調べ、軽快なリズムにトランペットの音色が映える。
「あ……小さな願い、ね」
I say little prayer。六十年代半ばのヒット曲。朝起きてから通勤し職場に着きコーヒーブレイクを迎えるまでの、恋する女性の甘く切ない恋心を歌ったメロディ。
「この歌もね、やっぱり言葉に出して言っていないのよ。お祈りするだけでね。あんたは、それで満足しちゃ駄目よ?」
「……うん……そうだな……」
「うんうん、さすがは私の甥っ子。ほら、じゃ早速伝えなさい!」
ばし、と背中を叩かれて、何の事かと問おうとすると、晴香は浩平の背後を目配せした。彼が振り向くと、そこには一人の少女の姿。上月澪だった。どうやら彼らのやり取りで目が覚めてしまったらしい。
なるほど、ね。言葉に出して、気持ちを伝えろ、か。
決心し、澪の傍に身を置く。
「なあ澪」
うに? と澪が寝ぼけ眼を擦って浩平を上目遣いで覗き込む。
言葉を喋れない少女。
スケッチブックだけが他人との接点である彼女。
「俺は瑞佳を選んだけど、今でもお前達を大切に思ってる。お前達が悲しそうな顔をしてたら俺だって悲しいし、嬉しい時は俺だって嬉しくなる。結局、俺はお前達次第なんだよ。瑞佳は妻として愛するけど、それに負けないくらいお前達を大切な存在として愛してるって事も、解ってくれないかな」
「…………」
「澪も瑞佳も、みんな大好きだ。それじゃ駄目かな?」
いくら酷い男となじられても良い。が、偽らざる本当の気持ち、それだけは解って欲しかった。自分は彼女達を等しく心の底から愛していると言う事に。そしてそれは、浩平自身にも言い聞かせていた。
誤魔化すな。逃げるな。自分の気持ちを、ちゃんと言葉に出して伝えるんだ。
「…………」
暫く押し黙っていた澪だが、やがて彼女は浩平に極上の笑みを向けて、うん、と小さく頷いた。そして彼の広く暖かい胸に身を委ねる。
「……きっと、さ。お前にも見つかると思う。新しい恋とか、さ。そしたら、俺も応援するよ」
うんうん、と元気一杯に頷く澪の小さな頭をいとおしげに撫でてやる。すると彼女は気持ち良さそうに瞳を閉じるのだ。
こう言う事か、言葉で伝えるってのは。
浩平がちらりと店のカウンターの方に目をやると、晴香が、ぐっ、と親指を立てて微笑んでいた。
これからも俺は、こいつらと一緒って事だな。
それがとても幸せでならない。
ヴァージンロードを、皆の祝福の視線を一心に受けながら二人で歩く。赤い糸の絆、と言うものが見えるのならば、この瞬間がもっとも良く映えるのだろう、そんな光景だった。
「それでは、誓いの口付けを」
今しがた指輪の交換は終えた。これであとは互いの唇を合わせれば、折原浩平と長森瑞佳は比翼の鳥として、連理の枝として、共に歩んで行く事になる。
向き合う男と女。初めはただの幼馴染だった。それが巡り巡って、健やかなる時も病める時も共にある、連れ合いに。運命とは解らないものだ。しかしいつかはこうなるのではないか、と言う確信も、二人の間にはあった。だからこれは、これから始まる素敵な何かのほんの序章。
「……いざみんなの前となると恥ずかしいもんだな」
「……わたしだってそうだよ」
「はははは」
「ふふふふ」
神父にも聞こえないような声量で、二人笑い合う。
「それじゃ、これから宜しくな、嫁さん」
「こちらこそ、旦那様」
そうして一組の男女は想いの篭った熱き口付けを交わした。
「……ってな事があってな」
浩平は遠い目を眼前の少年に戻し、少し熱の混じった口調で言葉を紡いだ。
「へえ。先生にも甘酸っぱい想い出があったんだな」
「当たり前だ。俺を何だと思ってる」
その少年は昔の自分に良く似ているなと浩平は思った。冗談好きで、性格が悪くて、そしてほんのちょっと照れ屋。
「まあ結局、七瀬も澪も茜も教職取って教師になったし、先輩もこの街で働いてるから、あまり昔と変わってないけどな」
「ふ〜ん……何で揃って同じ学校に赴任なんだろ」
「うん……何やら文部科学省に働き掛けた人間がいるらしい。何で俺達をそうさせたのかは知らんがな」
冗談とも本気とも付かない喋り方だ。
「しかし先生も大変だな。もてる男は辛いってか?」
「お前が人の事を言えるのか? 何やら後輩に先輩に同輩にとご盛んらしいじゃないか」
「う〜ん……その点に関しては黙秘するよ」
「ふっ……まあ、俺と同じ人生って事か?」
「いや、少なくとも先生の方が苦労が少ないだろう」
うんうん、と腕を組んで深く頷く少年。
「何でだ、俺の方が苦労が少ないって」
「あ〜、ウチには母親が、ね」
「母親? それが何だって?」
「いや、止めとこ。実家の事は話したくない。折角新天地に来て「あいつ」から逃れられたのに、またあの日々を思い出すのは勘弁な」
「はあ?」
少年は恐らく彼以外には誰にも解らないような事で一人で了解した。
と――少年の背中に、何か暖かく柔らかい感触が伝わった。何事かと思い、彼は首を後ろに向ける。と、そこには小柄な少女が彼の背中にぺったりと貼りついていた。
「って上月先生!? 何やってんですか!?」
それは教員免許を取って浩平の学校に赴任した澪だった。高校の時と変わらない赤いリボンに華奢な体付き、手に持っているスケッチブック。違う点と言えば制服ではなくブレザー姿なのだが、如何せん昔と同様に服に着られている感は否めない。
にこにこ。
「あの、ちょっと離れてくれませんか」
にこにこ。
「あの〜、先生〜?」
少年の言葉に、澪はスケッチブックを開いて、紙面にさらさらと鉛筆を走らせている。
そして書き終えたスケッチブックを少年に見せて、にっこり。
『一緒に売店に行くの』
「……先生、まさかまた」
『お寿司食べるの』
「……先生、何度も言ってますけど、売店の寿司詰めって納豆巻きといなり寿司しか入って――」
『先生の奢りなの』
「お供致しましょう、死が二人を分かつまで」
どうやら彼は物に釣られたようだった。その返答を聞いた澪は、今一度にこにこと微笑んで、少年の手を握って引っ張って行く。そうして二人は、職員室から消えて行った。
その様子を見ていた浩平は、少なからず呆気に取られていた。いつの間に澪とあの少年が仲良くなっていたのだろう、と。
その時、職員室の……否、学校中のスピーカーから音楽が流れ始めた。現在は昼休みで、恐らく放送局の企画の昼の放送なのであろう。生徒からのご意見番やミュージックのリクエスト等、一般のラジオ番組を意識して作られている。生徒達にも、また教職員の間でも好評を博している企画だった。
しかし浩平が気をやったのは、その内容ではなく、BGMとして流れている曲だった。
小さな願い、その名を冠したラブソング。過ぎし日に聞いた、あの曲だ。
Forever,forever you’ll stay in my heart
And I will love you.
Forever and ever we never will part,
Oh,how I’ll love you.
Together,together,that’s how it must be.
To live without you
Would only mean heartbreak for me.
いつまでもあなたが私の心の中にいるように
そしてあなたを私が愛するように
いつまでも二人が離れないように
この上なくあなたを愛するように
二人でいつまでもいられるように
あなたなしで生きるとしたら
ただ心が潰れてしまうだけ
「……そうだな。案外、あいつも新しい恋を見つけてんのかもな」
言葉を喋れないが笑顔でその差を埋めようとする健気な後輩と。
在りし日の自分にとても良く似ている目付きの悪い少年と。
彼女達にもこの歌が届くと良いな、と強く思いながら――
そして今日も、想いは巡り行く。
贈り物SSには後書きを付けようのコーナー
てな訳でお送りしました、今回のお話。
KEY萌え様の当HP60000HITスタンプ記念に書きました。
リクの内容は、春奈っちにおける浩平と瑞佳のお話。
……実は主人公は浩平でも瑞佳でもなく、澪だったりします。
読み返してみるとあらまあ、夫婦ネタが皆無だし繭の出番は少ないし
他の連中の扱いのぞんざいな事ぞんざいな事(^^;
因みに洋楽を入れたのは、ねこ様に張り合ってみました(爆)
こんな駄文、KEY萌え様に認めて頂けるのか非常に不安です。
更新して朝起きたらメールボックスに一杯の「メリッサ」、とか(^^;
さあどうなる、私の明日はどっちだ!?
では。